日曜の産業廃棄物



床に叩き付けられた本は無防備に身を広げた。女は肩で息をしながら、だとしたら、私ははじめて記憶の底からあなたを取り除くことができる、と呟いた。まるきり科白の棒読みだった。
駆け寄った両親が二人がかりで押さえつけようと羽交締めをかけたが、女は包丁を振りかざしながら、私は正気にも狂気にもなれない、だからこの本は好きになれない、だから嫌、パパもママもみんな嫌、でもいちばん嫌なのは自分自身、と叫んで包丁を自身の腹に突き刺そうと向けた。母親が、馬鹿、割腹がどんなに汚いかわかってるの、首を切り落とされない限り永劫に醜態を晒してのた打ち回るだけよ、と忠告していなければ、危うく女は腹から包丁を突き出した格好で永劫の後悔を引き摺る羽目になったろう。母親は額に汗を滲ませながら、救ってやったんだと言わんばかりにソファの隙間に挟まったまま微動だにしない女を見下げた。
両親には床に伏せた顔を二度とあげる気のないまま停止してしまったのではないかと思えたが、女は床の木目に見つめられながら木目の隙間に走馬灯のような著しい記憶の回転を見つめていた。気がつくと私は包丁を振り回している、大抵のことは膨らみすぎた妄想が現実化して境界線をはみ出していつの間にかいっしょくたになっているのだ、夢から醒める直前のような曖昧なその時間のことを、私ははっきりと思い出すことができない。
女は常に、とりとめのない不安が背後から押し寄せてきて自分を押し潰すためにスタンバイしているのだと信じ込んでいた。社会にはしばしば被害妄想癖が激しいと囁かれていたが、女にはどういう意味か理解できなかったし、自分はこれ以上ないほど安定した穏やかな気持ちで平凡に暮らしているだけなのだと思っていたので相手にしなかった。女は友達を持っていなかった。友達というのは厄介だし煩わしいだけだと開き直っていたが、もし自分が人気者だとすれば何もしなくてもみんな寄ってくるはずなのに誰ひとり寄って来ないなんて、みんな感覚がずれているに違いないと思い込んだ。連中はとにかくセンスが悪い。どうして最先端をゆく自分のセンスを認めようとしないのか、嫉妬に狂って前が見えないなんて不憫なひとたち、女は目をしばたかせた。両親ははじめ黙って見守っていたが、女はオブジェと化してしまったのだと次第に諦め、不要な粗大ゴミの処分について頭を巡らせているところだった。父親が、業者に連絡して取りに来てもらおう我々ではきっと難しいのだから、と話しはじめたとき、女の首がばねの弾けた首振り人形のように揺れながら反り返った。物凄いスピードで停止から破顔を拵えたかと思うと、いきなり前触れもなく腹を抱えて笑い飛ばし海老のように部屋を跳ね回った。いやなことはまとめて人目に付かない深夜、回避というゴミ集積所へ放り投げる。けれども粗大ゴミという札の貼られたストーブは置いてきぼりをくらう。ストーブこそこのひとたちそのものなのに、どうして自分だけ血統書付きのカメレオンみたいな顔してるんだろう。女は腹のなかで膨張した笑いの塊がいつか自分を破裂させるに違いないと思ったが、不思議なことに恐怖より先に好奇心のほうが溢れ返っている。止まらない笑いのために腹を痛めるのと、興奮で早まった心臓の脈打ちが停止するのと、どっちが先だろう、いずれにしろ近いうち私は死ぬだろう。
女は両親を交互に眺めた。とても同じ生き物のようには思えない。第一、彼らには顔がない。ばらばらになったパズルのピースがすべて合致に嵌め込まれた瞬間、人間は悲鳴を上げるか哄笑するかのどっちかに分裂するだろう。そのことにこのひとたちはまだ気がついていない。女は近いうち業者を呼び寄せてすべてを綺麗にしてもらおうと決め、回収される廃棄物を見守る澄み切った青空のような清々しい気持ちで大きく頷いた。


191202