日輪



今朝、夢の中でマサミちゃんが、その曲は嫌いと言った私を、オートバイで事故死に見せかけて振り落とそうとしたのはどうしてだろうということを考えながら、私はユリという女友達と軽食店にいた。ついさっきユリは、チエコと会うときは必ずこのお店って約束にしよう、と言ったのだが、私が空返事で済ませたことでその話題は終了した。
店は女性向けのランチを中心に出しているところで、この店の赤と白を基調にしたインテリア遣いが私は気に入っている。ユリはブラインドの隙間から弱い陽射しを受けながら私の向かいでサンドイッチを口に運んでいる。ユリの零れ落ちそうな眼球や筋の通った鼻に落ちる横縞の光の帯を眺めながら、私をバイクから振り落とそうとしたマサミちゃんは世界に諦めをつけたかったのかもしれない、と思った。
ユリは笑うと口角の上がった唇が、少女漫画のヒロインみたいに逆三角形になる。まるで薄っぺらな紙の中から抜け出して立体化してしまったかのようで、私は時折、ひょっとすると漫画の少女と対話しているのではないかという気持ちに陥ることがある。

ユリの家に遊びに行ったことがある。丘の上にあって、二階の窓からは海が展望できる白い家だ。その日両親は出かけていて家にいないと言って、ユリは住宅内覧会のようにひとつひとつ部屋を案内してくれた。台所まわりも洗面所もオートマチックの機能が施されていて、部屋の大きさや間取りは住みやすいよう計算された設計になっていた。
ユリの部屋は二階の十二畳のフローリングで、床の上には机しか置いていなかった。天井は高く、窓はとても小さかった。私は今までいろんな友達の部屋を見てきたが、私の地域に住む友達はみんな経済力に大差のない似たり寄ったりの家に住み、持っている自室はみんなさほど変わりなかったので、このような部屋はいまだかつて見たことがなかった。私からすればその部屋は生活感の排除された非現実的な部屋で、このような部屋は住宅センターのCMの中か、あるいはドラマの中にセッティングされた人工的な家庭にしかないのだとばかり思っていた。インテリアの通販カタログに載っている床になにも置かれていない部屋というのはぜんぶフィクションで虚像だと信じていたが、それは私が普段テレビをあまり見ないせいかもしれない。テレビをつければ、番組では芸能人のお宅訪問というのをやっていて、映画より現実味のある情報を仕入れることができる。広い床にクッションを敷いて六時間ぐらいその部屋に座っていると、私はしだいに窮屈さと息苦さを覚えるようになってきたが、ユリにそのことを伝えることができなかった。私の部屋は四畳半でベットと机を置けばいっぱいいっぱいだった。ユリは社宅に住む友人の家に遊びに行ったときのことを話してくれ、一年中部屋の中に虫が入ってきて玄関なんか蜘蛛の巣だらけでひどいんだよ、と言って笑った。そのようにひどい家というのに私も住んでいるので、私は笑わなかった。
私には付き合って一年になる五歳年上の彼氏がいるが、一度も自分の部屋に呼んだことがない。その彼氏の部屋は私の部屋より広いが、散らかって足の踏み場がないので実際より狭く見える。喫茶店で話しているとき彼はきれいな身なりをした金持ちそうな女の人のほうをよく見る。私たちが行ける範囲できれいな身なりをした金持ちそうな女の人を見ることができる場所は、喫茶店くらいしかない。私は彼には私のほかにも付き合っている女の人がひとりかふたりいると思っている。足の踏み場もない部屋の中で、三十分前に私の知らない女の人を抱いたベットの上で私を抱いているのだろうか、ということについて考えることがあるが、不思議なことに私はそのことについてなんの抵抗も感じない。彼は将来についてや自分の理想像についていっさい語ろうとしないが、彼が、健康的で清潔感のあるきれいな身なりをした金持ちの女を持ち、豊かな家庭を築きたいという理想を持っているのはなんとなくわかる。
だから私はユリみたいな女の子を自分の彼氏と引き合わせない。

ユリはバイト先の店長のセクハラについて愚痴をこぼしながら最後のサンドイッチに手を伸ばすところだった。
私はマサミちゃんの世界に対する諦めとはなんなのだろうと考えながら聞き流していた。
ブラインドの隙間から外を見ると倦怠な雨が降っていた。

私は太陽と仲良くなることができない。それは一生だと思う。そしてそれは、もうずっと何億も前から決まっていた定めのような気がして、私は私らしかぬことに、それを考えると少しだけ悲しくなってくる。
マサミちゃんとは高校時代の同級生で、大人びたきれいな顔立ちをしているところがユリそっくりで、数回しか言葉を交わした記憶がなくて、もう二度と会うことがないと思う。


20/03/23 親愛なる比奈さんへ